堀江貴文の「ハッタリの流儀」を読み終えて

前書き

堀江貴文氏の「ハッタリの流儀」を読んで、印象に残った言葉を書き留めたい。

彼が書いた本に「ゼロ」があるが、この本を読んでから堀江貴文氏に対する自分の見方が変わった。彼自身が書いているが、彼は”時代の寵児”と呼ばれたこともあるし、”金の亡者”と蔑まれたこともあった。

しかし、堀江貴文という男は、このどちらでもない。”寵児”でもなければ、金に執着してもいない。彼の本を読めば、いかにメディアが好きに書き立てているかがわかる。

堀江貴文氏に会ったことがない僕が言っても説得力がないだろうが、彼は純粋な”努力家”にほかならない。別に裕福な家の出でもない。

熱心に勉強をして東大に入っただけだし(東大卒であることは彼自身にとってどうでもいいことのようだが)、前に進む姿勢を崩さなかったから金銭面でも大きな成功を収めることができた。

言動には何かと荒々しさが目立ち反感も買っているが、彼が言わんとすることをとらえれば、誰にとっても彼の言葉は大きな意味を持つはずだ。

批判的なことを言う人間が多いと堀江氏は言っているし僕もそう思う。このブログではネガティブなことはできるだけ避けて、ポジティブなことだけを書いていきたい。

それでは「ハッタリの流儀」から印象に残った言葉を引用しつつ、気づきを書いく。

 

恥をかくことが最大のプロモーション

恥をかくことが最大のプロモーションなのだ。

堀江氏はこうも言っている。

「どこかで見たことがあるストーリー」に人は熱狂しない。

もうおわかりだろうが、堀江氏が言いたいことは、誰かがやったことがあることや誰かがやりそうなことに人は熱狂しないってことだ。そして、思いっきりぶっ飛んだ行動に人は熱狂して、応援したくなるってことだ。

今ある常識を疑え」と言っている堀江氏らしい言葉だ。

一歩下がってこの言葉を考えてみた。「一度きりの人生、短くてもいいから思いっきり生きよう」と考えるか、「老後に備えて貯金しよう。なるべく節約しないと」と考えるか、あなたはどちらだろうか。

僕は前者だ。そもそも長く生きるってことに、価値なんてあるのだろうか。量より質ではないだろうか。

いきなり脱線してしまったが、堀江氏は常に動き続けることに加えて、誰も考えもしないような(誰もやろうと思わないような)ことに挑戦することが、これからの時代において価値を持っていくことになると言っている。

考えても見てほしい。もうインターネットが普及しグローバル社会がやってきた。誰もが自由に世界に向けて情報発信できる時代だ。情報発信するのにくだらない面接みたいなものに合格する必要はないし、資格だって必要ない。

誰もが自由に平等にアイデアを出し合って、それをインターネットという平等な土俵のうえで競い合うことができる。そして多くの他者から認められたものが価値となり、必要とされなかったものには価値はつかない。

だから、より多く行動を起こした人間にはチャンスが到来しやすいし、停滞して安全ばかりを考えている人間にはチャンスは到来しない。もしかしたらチャンスが到来しないだけでなく、受動的な人間は価値を失っていき、社会の隅に追いやられる可能性だってある。

会社の社長だって例外じゃない。何もできない社長は退任させられる。言うことを聞く部下だけを周りにはべらせて自分の世界を作り上げることを以前はできただろうが、今の時代は自分が能力が無いことを隠すことはできない。

親の言うことは価値観が古い

「ゼロ」にも書かれていたが、堀江氏は親との関係においてこう語っている。

親の言うことを聞いたところで、いいことなんてほとんどない

僕の話をさせていただくと、僕は現在親と縁を切っている。法律的には何もしていないが、もう10年以上会っていないと思う。

今までの親との関係において、僕の人生にプラスとなるようなことは一切なかった。親が悪いとはまったく言う気はないが、僕は親と気が合わなかった。堅苦しいがちゃんと表現すれば、僕という人間は親という2人の人間と合わなかった、ということだ。

人間関係ですべての人間とうまくやっていくなんてことは不可能だ。気の合うやつが1人2人いればそれでいい。そいつらと深い人間関係を築けばいいだけの話だ。たくさんの人間とうまくやろうとして四苦八苦するよりかは、そのエネルギーを生産的な活動に向けるべきだ。

親とそりが合わないことを他人に話すと、必ずと言っていいほど、「親は親なのよ」とか「親の愛は無償の愛なんだよ」とか定型文のような陳腐な言葉が返ってくる。何度ウンザリさせられたかわからない。

今でも日本では、「親の言うことは正しい」とか「年上の言うことは絶対」とかバカみたいな考え方がはびこっているように思う。そんな考え方をしている人間に聞きたいが、その言葉の根拠はいったいどこにあるのだろうか?

堀江氏の本書の中での言葉で表現させてもらえばこうだ。

そもそも、親というのは価値観が古い。

親の持っている知識や経験というのは、子世代から見れば30年遅れている。

なんでこんな明らかな事実を日本人は受け止めようとしないのか。それほどまでにお行儀よく生きていくこと価値と考えるのだろうか。本当に疑問でしかない。

声に出して親を否定しろ、と言う気は毛頭ないが、「~しなさい。」という無駄な命令教育なんかやめて、親も子どもも相手の価値観を重んじるべきだ

 

ハッタリをかまして後で辻褄を合わせる

「ハッタリをかましてその後で辻褄を合わせること」は、あらゆる場面で大きな成果をもたらしてくれる。僕はこれを、人生の最高奥義だと思っている。

再度再度で申し訳ないが、僕のハッタリの話をさせてほしい。

僕は客先常駐型のシステムエンジニアをしているが、現場が変更になることは珍しくない。そして僕はインフラ側のエンジニアなのだが、最近まで構築経験の無いエンジニアであった。

僕は断ることが苦手なのだが、どうしてもサーバーやシステムの構築経験を積みたいと思ったので、そのような案件が来るまで営業の提案を断り、自分の要望を伝え続けた。そしてサーバーリプレイスのプロジェクトに潜り込むことができ、構築経験を積むことができた。

そしてそこで、LINUC 2の資格を持っている(これは本当)と言って、強引にLinuxサーバの構築を任せてもらった。もちろんLinuxサーバの構築経験なんて無い。Windowsサーバの構築経験さえもなかったのだから。つまり僕は、ハッタリをかますことができたのだと思う。

少し話がそれた気がするが、要は自分のできる範囲の仕事ばかりをしていては成長しない、ということだ。自分の心地いい空間(コンフォートゾーン)から抜け出して本気で物事に取り組まないと、人間は成長しない。

だけど多くの日本人が、身の丈に合った仕事を選んでいると思う。別に否定はしないが、今後の激動のグローバル社会を生き抜くためには、コンフォートゾーンを抜けることができない人たちは隅に追いやられていくだろう。

大事なのは、できるかできないかは始める前にはわからない、ということだ。

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後書き

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

ひとつのブログ記事に過ぎませんが、ハッタリをかまして強気で書かせていただきました。

3つにテーマを絞って書いたけど、「ハッタリの流儀」から感じたことはたくさんあった。ぜひ手に取ってご自身で読んでいただければと思う。